鴻巣市の概要
鴻巣市は、埼玉県の北東部に位置し、東は北埼玉郡、西は比企郡、南は北本市、北は行田市に隣接しています。西部に荒川が、南東部から中央部にかけて元荒川が、北東部に見沼代用水がそれぞれ流れており、中央部は大宮台地に位置します。標高は10〜25メートル位と、標高差が少ない地形です。夏は、熊谷や前橋などの都市と並んで、関東でも屈指の真夏地域に含まれます。冬は乾燥していて、晴れの日が多いです。面積は約67.49平方キロメートルで、埼玉県内では10番目に広い市となります。
ひな人形の産地として380年以上の歴史を誇り、江戸中期には関東三大ひな市のひとつとして栄えました。現在でも9軒のひな人形製造業者が軒を連ねます。
東京の住宅衛星都市である一方で、花卉(かき)園芸や稲作も盛んです。特に花卉については、平成14年9月に東日本最大級の規模を誇る地方卸売市場(鴻巣フラワーセンター)がオープンしました。近隣地区には花卉栽培のビニールハウスが立ち並んでいます。
鴻巣のあゆみ
『日本書紀』によれば、安閑天皇3年(534)、安閑天皇より笠原直使主(かさはらのあたいおみ)が武蔵国造(むさしくにのみやつこ)に任命され、現在の鴻巣市笠原地区に拠点を持ったとされています。この笠原直使主は、笠原郷の豪族と推定されています。
江戸時代には、関東の治水事業に大きな功績を残した伊奈忠次(いなただつぐ)が「武蔵国小室鴻巣等」で1万石を拝領しています。慶長7年(1602)には、現在の北本市にあった中山道の宿場・鴻巣宿が、それまで市宿新田と言われていた場所(現在の鴻巣市)に移転しました。鴻巣宿は、中山道の他に松山(現在の東松山市)・忍(現在の行田市)・私市(現在の北埼玉郡騎西町)に向かう道との宿継ぎが行われ、中山道では比較的大きい宿場でした。また、徳川家康・秀忠・家光の徳川将軍三代が鷹狩に訪れるため、「鴻巣御殿」と呼ばれる御殿が建てられています。
明治4年(1871)の廃藩置県により埼玉県の一部となり、昭和29年(1954)に鴻巣市となりました。明治初期の伝馬制(公用の書状や荷物を、出発地から目的地まで同じ人や馬が運ぶのではなく、宿場ごとに人馬を交替して運ぶ制度)廃止後も鴻巣宿は交通の要所で、産業・教育・文化の中心地でした。明治16年(1883)に日本鉄道高崎線が開通すると、中山道に替わって鴻巣駅が人と物資の集散地として賑わいます。
第二次世界大戦後までは、中心部以外は純農村地帯でしたが、昭和30年代以降は住宅地の拡大や工場の誘致、バイパスの開通などにより、都市化が急激に進んでいます。
鴻巣の名前の由来
日本書紀によれば、武蔵国造(むさしくにのみやつこ)である笠原直使王(かさはらのあたいおみ)が現在の鴻巣市笠原のあたりに住み、一時この地が武蔵の国府となったとされています。このことから「国府の州(こくふのす)」と呼ばれたのが始まりとされ、それが「こふのす」となり、後に鴻神社に伝わる「コウノトリ伝説」から鴻巣の字をあてはめるようになったといわれています。
また、元荒川流域と荒川低地に挟まれた小高い土地(大宮台地)を「高洲(こうす)」と呼ぶ事から由来して、「鴻巣」という名前になったという説もあります。
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鴻巣市文化センター(クレアこうのす) |
| 住所: |
〒365-0032
鴻巣市中央29-1 [地図を見る] |
| 電話番号: |
048-540-0540 |
| 開館時間: |
9:00〜22:00(夜間は消灯されている場合があります) |
| 休館日: |
毎月1回不定休
12月28日から1月4日まで |
| 入館料: |
無料 |
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